大晦日

こんばんは望月 ファームです。
あと少しで令和2年も終りですね。
今日は、富士宮本宮浅間大社 へお参りに行ってまいりました。

富士宮浅間大社には半年に1回、無事に過ごせたこと感謝するために、お参りしています。
今でも信仰心はそれほどありませんが、若い頃は神社にお参りしたり墓参りしたりといったことは、全く意味のないことだと思っていました。

しかし、そういったものを一切否定して経済的価値だけを追及していると、心が荒んでしまうことに気付きました。
そうなると、結果的に健康を損ねたり人間関係がうまく行かなくなったりしてしまうのではないでしょうか。

(やきそば食べたい)


神社にお参りしたり、墓参りするようになったから何かよいことあったかと言えば、別によい事はありませんし、不思議な力が働いて窮地を脱したとか大金を稼いだとかそういったこともありません。

(富士山の写真を撮ろうと思ったけど、頂上が雲で見えませんでした)

新渡戸稲造の武士道の序文で、かつてドイツに留学中にベルギーの碩学ド・ラヴレー教授が発した「宗教教育なくして、どうして道徳教育ができるのか」という問いかけがありました。
また、本文中には、以下のことも書かれています。
「神社に詣ずる者は誰でも観るごとく、その礼拝の対象および道具は甚だ少なく、奥殿に掲げられたる素鏡がその備えつけの主要部分を成すのである。
鏡の存在は容易に説明できる。それは人の心を表わすものであって、心が完全に平静かつ明澄なる時は神の御像を映す」

いろいろ書いているうちに、なんだか、難しい話になってきてしまいました。
粉末煎茶のお茶割りで酔っぱらってしまったので、そろそろ終わりにしたいと思います。

(富士川の支流で採れたズガニです。焼酎の緑茶割りを飲む前に、日本酒でいただきました)

よい年をお迎えください。

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