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ローラ・ブラニガン さんが、凄い人だったことがわかりました

今日、私は休肝日です。
ジャズを聴くと飲みたくなってしまうので、今日のリラックスタイムは洋楽を聴こうと思います。
「ウチヤマナイト」にしてしまうとくつろげる感じじゃなくなるので、やかましくなく静かでもない、ローラ・ブラニガンさんの曲を聴いてみたいと思います。

Laura Branigan – Satisfaction

“Satisfaction”は、1984年に発表したアルバム『セルフ・コントロール』の収録曲で4枚目のシングルリリース曲。

ローラ・アン・ブラニガン(Laura Ann Branigan)
生年月日: 1952年7月3日
没年月日: 2004年8月26日(享年52歳)
出身地: アメリカ・ニューヨーク州・ブリュースター

ローラ・ブラニガン( Laura Branigan )さんは、既に亡くなられておりました。

ローラ・ブラニガンは、アメリカのシンガー・ソングライターで俳優。
1500万枚以上のレコードセールスを記録を持つ。
代表曲の1982年のシングル「Gloria」は、米国ビルボードホット100で36週にわたり2位を記録。また、オーストラリアとカナダでも1位を獲得。

Laura Branigan – Gloria


最も成功したアルバムは、1984年にプラチナ・セールスを記録した『Self Control』。
グラミー賞やアカデミー賞を受賞した「フラッシュダンス」のサウンドトラック(1983年)や「ゴーストバスターズ」のサウンドトラック(1984年)、さらに「マイアミ・バイス」(1984年)などにも曲を提供。
1985年、「The Lucky One」で東京音楽祭グランプリを受賞。

Laura Branigan-The Lucky One

1994年に夫が大腸がんにかかると、病気に対する医者の見通しを受け入れず、音楽業界から離れ夫の看病に専念、ハーブ療法を施し最終的にはフルタイムで看病した。1996年に夫が亡くなった後演奏活動を停止し引退状態となった。2000年代初頭に復帰、2004年8月、新曲のレコーディングや音楽業界への復帰の準備をしていたが、脳動脈瘤のため自宅で亡くなった。
出典: Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Laura_Branigan
https://en.wikipedia.org/wiki/Laura_Branigan_discography

ローラ・ブラニガンさんの弟さんによると、亡くなる2週間ほど前から頭痛を訴えていたそうですが、医療機関には行っていなかったということです。
病院へ行っていたら、助かった可能性もあるのではないかと考えると、残念な気持ちになります。
(ビルボード誌には享年47歳と記載されていますが、後にAP通信は52歳と訂正しています)
出典:
『Billboard』2004.8.30
https://www.billboard.com/music/music-news/singer-laura-branigan-dies-at-47-66707/
『Associated Press』2017.2.18
https://apnews.com/article/4ce78d41c83540e2b9b6b6b34a592158?mc_cid=ac1a251744&mc_eid=4e126a7e6a

ローラ・ブラニガン記念奨学金
ローラ・ブラニガンさんは、自らの卒業校(ニューヨーク州アーモンク・バイラム・ヒルズ高校)の舞台芸術の分野で優秀な成績を収めた生徒に奨学金を与えていらっしゃいました。
出典: 「SPECTRUM」(Byram Hills School District)2009
https://web.archive.org/web/20110721004838/http://www.byramhills.org/files/filesystem/Spectrum_Summer09.pdf

ローラ・ブラニガンさんは、凄い人だったんですね。

大学生の頃、ローラ・ブラニガンさんの「Whatever I do」を聴きながら、よくドライブしたものです。

Laura Branigan-Whatever I Do


亡くなられてから、18年も経ってしまっていますが、ご冥福をお祈りしたいと思います。

50歳を過ぎたら、からだのあちこちが悪くなってきますので、体調が悪くなったら病院へ行った方がいいですね。